发信人: yzh-5(小百合)
整理人: wasabi_beauty(2003-06-23 12:23:48), 站内信件
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虽然简单了些,给需要参考的人,有时间来广州且喜欢历史的朋友,一定去看看吧
西漢南越王墓博物館
これから南越王墓博物館にご案内します。
これは1983年工事のため、偶然発見されたものです。
秦(しん)の始皇帝が前214年に嶺南(現在の広東省と広西チワン族自治区一帯)を占領(せんりょう)して統治(とうち)しました。秦の崩壊(ほうかい)後、秦の将軍であった趙陀(ちょうだ)が自ら王を名乗(なの)り。ここに南越国を建国し、現在の広州を都としました。
実はこれは漢の時代に広州を中心とする南方地域に割拠(かっきょ)していた小さい封建王朝の二代目の王様のお墓で、発見されて今博物館にされたものです。特に、中国南方では唯一発見された漢の時代の王様のお墓なので、中に色々な価値の高い文物(ぶんぶつ)があって、南方の経済文化、技術水準、建築技術などを研究するには絶対に欠かせない資料です。
この墓は約2200年前のもので、なかから千点以上もの埋葬品(まいそうひん)が出土(しゅつど)しました。その墓と出土品を展示しているこの博物館の中には、特に玉の彫り物と青銅品(せいどうひん)などが有名です。
はいごらんなって下さい。前にあるこの赤い建物が南越王墓博物館です。両側に建てられているのは魔除(まよ)けのための獅子で、壁画(へきが)は生き生きとしていて、漢の時代の人の生活などを具体化したものです。中には主に発見されたお墓とそのお墓から出土した文物の展示と、二つの部分に分けられて、その文物はテーマごとに陳列されています。
この玄関全体は全部赤色の石で造られたものです。なぜ赤い色ですか、皆様当てて見てください。実はこのお墓を造る時に使われていた材料と関係があります。全部広州から50キロぐらい離れた山から採掘(さいくつ)され、水路で運ばれてきたものです。そのお墓の石材(せきざい)と対応できるように今の赤色にされたわけです。
この両側の部屋に陳列されているのは各テーマごとに収集(しゅうしゅう)された文物です。左手にあるのは広東省の嶺南流派の絵画(かいが)と各時代の有名な絵です。右手にあるのは香港に住んでいる楊永徳先生の寄付した磁器の枕です。
二階で陳列されているのは広州市が南方地域の政治、文化と経済の中心地になってから、二千二百何十年経ってきた今までに出土した広州に関する重要な資料となる文化財の写真です。例えば、重要文化財である陳氏書院、南越王墓、鎮海楼、広州美術館などの写真と資料です。
はい、皆様真正面の階段を登りましょう。左手にガラスのケースが見えますね。あの下にあるのは中国南方の最大の地下宮殿(きゅうでん)、南越国の二代目の王様のお墓です。このお墓は前後二つの部分に分けられています。その前部は前室と両側の「耳室(じしつ)」という小さい部屋からなったものです。後は墓の主(ぬし)の棺(ひつぎ)が置かれた主室(しゅしつ)を中心に両側に側室(そくしつ)二つと後の貯蔵庫(ちょぞうこ)、併(あわ)せて四つの部屋からなっています。
その王様が埋葬(まいそう)された時に四人の夫人(ふじん)とほかに料理長、官僚各一人それに手下(てした)9人の全部で15人が殉死(じゅんし)され、そして、たくさん副葬品(ふくそうひん)も出土しました。今この中から出土した玉器(ぎょくき)、青銅器、陶器など貴重な出土品の中でももっとも有名なのが「絲 玉衣」、これは1191枚の玉片(ぎょくへん)と赤いシルクの糸で作られた衣装で、埋葬された王の全身がこれで覆われていました。これは中国考古学界で最初に発見されたもので、世界でも非常に有名です。
このお墓の発見が80年代考古学史上でもっとも大きな出来事と評価され、中国考古学と古代建築学の研究にとって、重要な意義をもっています。
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