发信人: yzh-5(小百合)
整理人: ck19780(2003-06-14 12:33:29), 站内信件
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南華寺
南華寺はすでに1500年ぐらいの歴史をもっている古いお寺です。しかし、有名になった原因はその歴史の長さではなくて、仏教禅宗六祖の慧能が南方禅法えを開いた発祥地として有名な仏教寺院です。六祖慧能様はここで36年間宣教し、その間に43人の弟子を育てました。その慧能様の門下にまた曹洞宗(そうとうしゅう)、臨済宗(りんさいしゅう)、沩仰宗、雲門宗、法眼宗という五つの流派ができました。そのなかには朝鮮、日本、タイなど外国の僧もいました。当初は宝林寺と言いました。その後、明の太祖が南華禅寺の名前を贈り、現在に至っています。
中国の禅宗を言いますと、話はちょっと長くなります。ご存知のように、禅宗を中国に伝えてきたのはインドのだるま大師です。彼は河南省に行って、嵩山(すうざん)少林寺(しょうりんじ)を建てて、そこで伝教(でんきょう)しました。しかし、インドから伝来したそのままの禅宗の中に中国人の文化伝統に合わないところがあるために、ふつうの大衆(だいしゅ)に普及するのはなかなか難しかったので、7世紀に恵能様がこの禅宗を中国の習慣に合うように改造して、南方で伝教しましたので、禅宗の影響はすごく大きくなりました。あれから、少林寺をはじめとする北の流派の「北宗」と南華寺を中心とした慧能様の「南宗」が対立(たいりつ)ができました。実を言えば、今中国で一番影響の大きいのはこの禅宗の南の流派です。
南の流派と北のものは主にこういうところで違います。北の流派は人間が何世(なんせい)も修業(しゅうぎょう)してからやっと仏になれると主張(しゅちょう)します。その「世」の意味は期間の「期」です。すなわち人間が生まれて、亡くなって、また人間に生まれ変わって、また亡くなると、そのようにリサイクルしているとのことです。それたいして、南の流派は人間が前にどんな悪いことをしても、もし、「前にやったのは悪いことで、これから諦(あきら)めて、善事(ぜんじ)ばかりやって修業して行こう」と悟って(さとる)、修業したら、すぐ仏になれるということです。仏教の説のよれば、人間そのものは、誰でも、無意識のうちにでも、悪いことをしても知れないそうです。しかし、やはりこの残りの短い人生で悪いことを諦めて修業して、仏になる見込みが十分にあるから、魅力があります。それで、信徒(しんと)が急増(きゅうぞう)してきました。その上に、恵能様の力で、唐の時代から、禅宗は力強くなりました。後、その恵能様の門下(もんか)にまた五つの流派が出来で、その中の曹洞宗(そうとうしゅう)と臨済宗は日本にも伝わりました。
南華寺は6世紀の中国の南北朝時代、インドの名僧がここに来られて、風水のいいところと思って、お寺を建てるようにと地元の官吏に提言(ていげん)して、その支持を得て、建てられた立派(りっぱ)なものですが、六祖はここで宣教(せんきょう)してからこそ、有名になりました。この「南華禅寺」という呼び名(よびな)自身も宋の時代に王様から名づけられたものです。中国での地位がどれほど高いか皆様が想像できるでしょう。
目の前にあるのは南華寺です。寺院の敷地は以前と比べればかなり小さくなってガ、それでも12万平方キロです。
中国のお寺はふつう先ず、日本の神社の鳥居に当たる山門や、大きい玄関があります。その次にあるのは四天王が祭られる「天王殿」(てんのうでん)、弥勒菩薩(みろくぼくさつ)が祭られる「弥勒菩薩殿」です。その四天王をご覧になってください。15世紀彫刻されたものです。手に持っているものが違います。順番に言うと、剣(つるぎ)、琵琶、傘と蛇です。その意味は「風調雨順」(ふうちょううじゅん)で、言い換えれば、必要な時に必要な量の雨と風だけが来るということです。即(すなわち)ち農業が基本の中国人の豊作(ほうさく)のためのお守りです。
真正面に祭られているのはふつう弥勒菩薩で、その裏面のあるのは仏教の保護神韋駄天(いだてん)です。この四天王、弥勒菩薩と韋駄天はいずれも中国人の服装をしています。インドから伝来した神様も中国人化されたわけです。ぞの真正面に弥勒菩薩、裏面に韋駄天という配置もなかなか面白いです。伝説によれば、もともと弥勒菩薩と韋駄天が各自のお寺を持っていたそうです。しかし、優しい弥勒菩薩のお寺にはよく寺参り(てらまいり)のお客さんが入りましたが、中にすりも多かったです。厳しい韋駄天のお寺にはすりは恐れて寄らなかったのですが、お寺参りのお客さんも少なかったのです。そのことを見た如来様(にょらい)が二人に一つのお寺を管理させるようにしました。すると、弥勒菩薩はいつも微笑んでいて、お客さんを迎え、韋駄天は厳しい顔をしていて、中に入ってきたお客さんを管理するようになりました。それで、その後、お客さんもよくお寺に入るようになりましたし、すりも後を絶(た)ちました。
目の前にあるのはお寺の中心である本殿(ほんでん)です。中国のお寺の本殿は「大雄宝殿」(だいゆうほうてん)と呼ばれます。この中に仏像が三体祭られています。左にあるのは阿弥陀仏(あみだぶつ)で、真中にあるのは如来様で、右手にあるのは薬師仏(やくしぶつ)です。仏像は高さが8.31メートルで、全体は金をはってあります。両側の壁に彫刻されているのは500羅漢様です。仏像の後ろには観音様の仏像が祭られています。
本殿の両側には鐘楼と鼓楼があります。鼓楼の中に大きいな釣鐘もあります。大雄宝殿の左側にはお坊さんが食事する食堂があり、「斋堂」(さいどう)と言います。宋の時代の有名な詩人ソトウハ直筆(じきひつ)の額(がく)もかけています。
本殿の裏には蔵経閣(ぞうけいかく)、即ちお寺の図書館です。中には経書(けいしょ)や珍しい書物(しょもつ)もあります。しかし、中は今見学禁止です。
ここは禅宗の六祖慧能様が祭られる「六祖殿」です。真正面のガラスケースの中に祭られているのは中国禅宗の祖である六祖慧能様のミイラーです。六祖はずっとここで宣教して、中国人の習慣と考えに合う禅宗の南の流派を開きました。彼を記念するために、弟子たちは六祖の遺体(いたい)を特別な方法で処理し、仏像にして、今のように祭られています。六祖の両側のは南華寺もとの住職のミイラーが二体祭られています。左側のガラスケースの中に一枚の千仏袈裟(けさ)と水晶の鉢(はち)皇帝の詔書(しょうしょ)などが奉納(ほうのう)されています。千仏袈裟と水晶の鉢は中国歴史上唯一(ゆいいつ)の女帝(じょせい)則天武后(そくてんぶこう)が六祖慧能様に贈ったものです。
六祖のミイラー、千仏袈裟と水晶の鉢は南華寺の宝物と言われています。
またほかにもお寺の中には伏虎亭(ふくこてい)、卓錫泉(たくしゃくせん)など歴史的に価値のある建築物が多数あります。
皆様、大変お疲れ様でした、南華寺の観光はここで終わります。ご清聴(せいちょう)ありがとうございました。
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