发信人: mandms(开心)
整理人: dearxue(2003-04-09 10:55:25), 站内信件
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南国紅豆
広州で生まれて、初めて故郷を離れて1年間、親とも会えないで過ごしたので、とても帰りたいと思っています。東京の野菜と料理はもう耐えられません。わがままはよくないと思いますが、広東人の弱点だから仕方がないですね。今月の中旬には、帰るつもりでしてが、突然非典型肺炎(SARS)が広東地方と香港に流行っていて、怖くて帰るか帰らないかまだ悩んでいます。
確かに、広州は南の国ですから、夏はとても長くて、暑いです。いまはもう25度ぐらいの温かさです。早く行かないと、きれいな春はすぐに散ってしまう。広州は花がとても多くて、昔から「花の町」と呼ばれています。今は花がいっぱい咲いているはずです。私の家は広州の郊外10キロにあり、明治神宮より大きい、公園みたいきれいなところです。その住宅公園の池に、白鳥(黒色の)Black Swanやいろんな小鳥がたくさんいます。むちろん、カラスはいないです。白色の白鳥は南の熱い天気が好きじゃないので、全部飛んでいってしまいました。今残っている白鳥は黒色の白鳥です。白鳥は恋の鳥です。結婚した白鳥はずっとつがいで暮らします。一昨年、ある白鳥のつがいの片方が死んでしまいました。死んだ原因は分かりません。お墓は池の中の島にあるそうです。その後、残された白鳥はいつも池でひとりです。寂しくて死ぬまでそうなのでしょう。
池には、魚もいっぱい飼っていて、年一回管理者さんが大きくなりすぎた魚を捕って、住民に売ります。この魚は鳥類の糞を食べて育っていますから、美味しいのです。
しかし、私は一回も食べたことがありません。犬も食べたことがありません。広州にいる時には、食欲があまりありませんでした。多分選択肢が多すぎたからでしょうか。或は暑いからでしょうか。毎年夏には、管理者さんは街でマンゴーの果実を収穫し、住民に無料で配ります。美味しくないからただで配るのです。量は本当にすごいです。南の国の恵みです。
紅豆の木もあります。ところが、紅豆は食べられないのです。唐代の詩人王維は紅豆が相思を表すと言いました。
私は、旅行が好きなので、中国のたくさんのところに行ったことがあります。その時、どこの風景も広州より面白いと思いました。北京の歴史や、青島の街や、杭州の風景や、温州の楠渓江の素晴らしさ、廈門大学のロマンチックさなど。旅行を終わって広州に帰ることは辛く感じました。
日本に来る前、なぜ広州のことが嫌いだったのでしょうか。汚染がひどい、人口が多い、犯罪が凄く多いなど。自分の故郷の悪口を何万回以上も口にしました。ちょっと恥ずかしいですね。25年の間自分がずっと幸せだったことは故郷を離れて一年経って分かりました。
去年初めて桜の下で散歩しながら、広州のことまだ思い出しました。同じ季節に広州の紫荊花はいっぱい咲いています。花が落ちて、町は紫色になります。丘の木は去年よりちょっと高くなりました。自転車をゆっくり乗って、落ちた紫荊花の上に行かないように。湿った柔らかい風が吹いて、紫の花が私の服に落ちました。夜、越冬した蛙の声が聞こえました。それは夢ではないのか。
たくさんの人はいろんな理由から故郷を離れています。離れているからこそ、故郷への恋が強まるでしょう。何回も夢の中で故郷のことを思い出したことでしょう。なぜ中国人はよく自己紹介する時、まず自分の出身地を教える気持ちが少し分かりました。なぜ日本にある中国物産店の商品の値段は中国より10倍高くても、お客さんが来るのでしょうか。それは、故郷への恋ではないでしょうか。ところで、私の日本人の友達は海外で働いているとき、お味噌も持って行くといいます。故郷への恋は国境がないということだと思います。
故郷への恋はすばらしい気持ちだとおもいます。この気持ちを持っている国々の人々はお互いに理解して、みんな友達になることができると思います。一生懸命新しい国で新しい夢に向かって頑張っている人にとって、新しい国で友達ができることはどんなに幸せなことでしょう。桜の下を歩きながら、日本は私の第二の故郷になるということも実感しました。
相思
王維(唐)
紅豆生南国,
春来発几枝。
愿君多采摘,
此物最相思。
---- 你快乐,所以我快乐!
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