发信人: samurai999(TOM猫)
整理人: germany(2002-11-28 12:47:14), 站内信件
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"近畿"という言葉が文献に初めて登場するのは1898年
(明治31)で1903年の地理の第一期国定教科書に掲載され定着
しました。その範囲は大阪、京都、兵庫、和歌山、奈良、滋賀、三重
の2府5県です。
近畿の名前は畿内に由来し、畿内とその周辺という意味です。古代
の律令制で"五畿七道"という地方行政区画が定められました。五畿
というのは国家の中心を指した畿内の大和、山城、河内、和泉、摂津
の五つで、七道は畿外の東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、
南海道、西海道です。
63年(昭和38)に施行された近畿圏整備法では"近畿圏"の定義
として、福井県を含む2府6県を一体とした広域としており、福井県
を含んでいます。また、国の出先機関では建設、通産の両省が"近畿"
に福井県を含み、大蔵、農水、郵政の各省は"北陸"の管轄になって
います。運輸省は海運が"近畿"、陸運は\\\"中部"と分かれています。
三重県はいずれも"東海""中部"の管内となっています。
一方、"関西"は鎌倉時代の歴史書"吾妻鏡(あずまかがみ)"に
見られるのが最初です。鈴鹿の関(三重県関町)、不破の関
(岐阜県関ヶ原町)、愛発(あらち)の関(福井県敦賀市)より西
というのがもともとの意味で、関東に対する言葉です。関東は
"関八州"(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野)という
言い方もあるように範囲がはっきりしているのに対し、関西は範囲が
漠然としています。
最も広く取れば"名古屋、富山以西の西日本"を意味し、次いで
"近畿,中国,四国","三重を除く近畿,岡山"と範囲が徐々に狭まり、
最も狭い使われ方としては"京阪神"ということになります。もともと
行政上の公式の用語でないため、ひとそれぞれに受け取り方は様々です。
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