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主题:日本历史(27)
发信人: killjqk(<>)
整理人: ccu13650(2001-11-29 23:19:51), 站内信件
二度にわたる大戦争 
朝鮮との関係――  新政府は世界ナ国々と交わり,そのすぐれた文 
化をとり入れるのにつとめましたが,朝鮮は大昔から関係の深い国な 
ので,あらためて交わりを求めました。しかし,朝鮮はそれを聞き入 
れませんでした。やっと1876年(明治9年)に条約が結ばれ,貿 
易もはじまり,日本の品物が朝鮮に入っていくようになりました。 
日清戦争――  清国は朝鮮を属国と考えていたので,日本との貿易 
が盛んになり日本の力が朝鮮に伸びていくことをおもしろく思いませ 
ん。たまたま朝鮮に内乱が起きたので,清国は軍隊を朝鮮に送りまし 
た&#65377;これがきっかけになって1894年(明治27年)わが国と清国と 
の間に戦いがはじまりました。 
    清国はアジア第一の大国でしたから,日本の運命を賭けた大 
戦争でした。議会は政府と争うのをやめ,政府や軍隊を応援しなした 
.日本の軍隊は清国軍を破り,満州にまで攻め入りました。そこで, 
清国は降伏して、翌年に下関で講和条約が結ばれました。 
    講和条約では,清国は朝鮮を独立国として認め,遼東半島と 
台湾をわが国に譲り,賠償金を払うことを約束しました&#65377;しかし,遼 
東半島については,ロシア.フランス.ドイツの反対にあい,涙をの 
んで清国に返しました。 
    しかし,この戦争の結果,朝鮮にかんしては貿易だけでなく 
,政治についても大きな力を持ち,日本の国力が世界に認められるよ 
うになりました。 
条約改正――  徳川幕府が外国と結んでいた条約は,わが国にとっ 
て大変不利ナものでした&#65377;新政府はこの条約を改めるため,明治の初 
め岩倉具視らをアメリカへ遣わしましたが,国力が弱かったので目的 
をはたせませんでした。 
    そこで政府は日本を近代国家にしあげるために憲法をつくる 
などいろいろな法律をととのえ,条約改正の交渉を続てきました。そ 
の結果,1894年(明治27年)外務大臣陸奥宗光はイギリスとの 
条約の改正に成功しました。その後ロシアとの戦いに勝ったので,日 
本の力も認められすっかり不平等な条約を改めることができました。 
日露戦争――  日清戦争で清国が負けると,  外国はそれにつけ 
こんで清国から土地を借りたり,いろいろな権利をもらったりしまし 
た。 
    ことにロシアは旅順や大連を借り受けてシベリアに続く満州 
,朝鮮にまで力を伸ばそうとしました。これは日本の安全に害がある 
ばかりなく,ロシアがアジアに力を持つことはイギリスにも不利益で 
したので,日本はイギリスと同  を結びました&#65377;そしてロシアの勢 
いをくいとめようとしましたが成功しませんでした。1904年(明 
治37年)ついにロシアとの間に戦いからはじまりました。世界一の 
陸軍国と言われた刻を相手に戦いは有利にすすみましたが、二年目に 
なると、わが国もつかれて来ました。ロシアも内乱が起きて戦争を続 
けられなくなりました。そこでアメリカの斡旋で,ポーツマスで講和 
会議が開かれました。その結果,朝鮮に対する日本の特別な立場が認 
められ,ロシアの持っていた長春と旅順との間の鉄道.関東州の租借 
権などが日本に譲られ,南樺太もロシアからもらいました。しかしこ 
の戦争で多くの人の命とお金が失われました。 
    これで日本の国の力は一だんと強くなって,ロシアかわって 
満州に力を伸ばし,世界の強国の一つにかぞえられるようになりまし 
た。 
    また,これまでしだいに発達していたわが国の産業は,この 
二つの戦争で一だんと発達し,品物も一そう多く生産され,貿易は活 
発になりました。特に日露戦争後は、朝鮮,中国にまで日本の力が伸 
び,産業は大発展をしました。これまで朝鮮は韓国と呼ばれていまし 
たが,1910年(明治43年)わが国の合べいされ,わが国の   
 となりました。 


经历二次大战争
和朝鲜的关系--  新政府和各国的交往,吸收了先进的文化技术.和朝鲜以前的关系是很深厚的,但要求和它进一步交往却被拒绝了.终于到了1876年(明治九年)才签订条约开始贸易,日本的产品可以进入到朝鲜市场了.
日清战争--  清朝认为朝鲜是其属国,因而对日本在朝鲜扩大贸易和扩张势力感到不满.恰逢朝鲜发生内乱,清朝派遣军队进入朝鲜,由这开端,在1894年(明治27年)日本和清政府之间开战了.清朝是亚洲第一大国,所以这场是关系到日本生死存亡的大战,议会和政府停止了争执,大力支持政府和军队出兵.日本军队击败清兵,一直攻到满洲,直到清政府投降,第二年在下关签订了讲和条约.条约内容是,清政府承认朝鲜是独立国家,割让辽东半岛和台湾给日本,支付赔偿金.但是后来,关于辽东半岛的割让,由于俄罗斯,法国,德国的反对,只好忍气吞声地归还给清政府.不过这场战争的结果,不但关系到和朝鲜的贸易,在政治上也取得了巨大的力量,从此日本的国力得到了世界的认同.
修改条约--  德川幕府和外国签订的条约,对本国十分不利.新政府为了修改这些条约,明治初期派遣岩仓具视等人出使美国,但由于国力弱小未能达到目的.接下来政府为了将日本建成现代国家,制定了宪法等,调整了各种法律,为条约的修改不断进行交涉.结果在1894年(明治27年)由外务大臣陆奥宗光成功和英国修改了条约,之后因和俄罗斯的战争取得胜利,日本国力被认可,从多不平等条约终于可以得到修改.
日俄战争--  在和日本战争中,清政府一战败,许多国家立刻利用这个机会从清政府手中租借土地,取得各种各样的权利.俄罗斯租借了旅顺和大连,西伯利亚一直连到满洲,势力扩展到朝鲜.这些不但危害了日本的安全,而且在争夺亚洲势力中对英国不利,于是日本和英国结盟,然后企图制止俄罗斯的势力扩张,但不能成功.到了1904年(明治37年)终于和俄罗斯爆发了战争.在和号称世界第一陆军的对手交战,有利的是在战争第二年中,当感到疲惫时候,俄罗斯国内发生了动乱,战争不能持续下去.那时在美国的调停下,在朴茨茅斯举行了讲和会议.结果是承认日本在朝鲜的特别权利,交出俄罗斯拥有在长春和旅顺之间的铁路,关东州的租借权等,南库业岛也从俄罗斯手中取回.但是这场战争造成了许多人命伤亡和财物
损失.此时的日本国力增强,取代了俄罗斯在满洲的势力,达成了成为世界强国之一的愿望.
    另外,日本这时渐渐发达的产业,经这两场战争后更加发展的快,产品被大量的生产,贸易也活跃起来.特别是日俄战争后,日本的势力一直伸展到朝鲜和中国,使产业可以高速发展.这时的朝鲜被称为韩国,1910年(明治43年)被日本吞并,成为日本的领土.

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