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主题:日本历史(10)
发信人: killjqk(<>)
整理人: ccu13650(2001-07-21 01:23:25), 站内信件
 武士の中央進出 

武士のおこり--  大化の改新できめた土地のわけかたは,その後しだいに 
くずれてきました.政府は土地が不足なので開墾をしょうれいしたので, 
力のある貴族や寺社は,新しい土地を開いて税を納めないですむ私有地に 
しました.これを庄園といいます.税が重くて生活に苦しむ農民は,自分の 
土地をすてて庄園で働きました.庄園のなかには名主とよばれる地主がい 
ましたが,世のなかが乱れてくると名主は武器をとって庄園を守りました. 
これが武士のおこりです.武士は力の強いとうりょう(かしら)について集 
団をつくりましたが,東国の源氏,西国の平氏はそのとうりょうの代表的な 
もので,武士はこのとうりょうに従って戦いにでかけましたので,主人と家 
来のかたい関係がむすばれていきました. 

院政--  そのころ都では白河天皇が天皇の位をゆずって上皇となったのち 
も,政治をおこなって,わがままな藤原氏をおさえようとしました.上皇の 
すまいを院といったので,その政治を院政とよびました.やがて院政が政治 
の中心となりましたが,代々の上皇はあつく仏教を信仰したので,坊さんた 
ちの力が強くなり,大きな寺ではたくさんの僧兵をやしなって,気に入れな 
いことがあると乱暴をはたらくようになってきました. 
    この僧兵をおさえるには,僧兵よりも強い武士の力をかりる必用がで 
きました.そのために武士が都をまもり,やがて政治にもかんけいするよう 
になりました. 

源氏と平氏--  十二世紀のなかごろ,朝廷や藤原氏の間で争いがおこりま 
した.どちらも源氏や平氏の武士をみかたにして戦いました.これを保元の 
乱といいます.この戦いに源氏の大将源義朝や平氏の大将平清盛が味方し 
た方がかったので,この二人の力が強くなりました.間もなくこの二人の間 
に争いがおこり,平清盛がかちました.これを平治の乱といいます.この結 
果,清盛は藤原氏にかわるほどの力をもつようになり,太政大臣となって政 
治をとるようになりました.そして一族はそれぞれ高い位につき,勢いにま 
かせておごりたかぶり政治をわすれるようになりましたから,わずか二十 
年で源氏にほろぼされてしまいました. 


十.武士政权的起落
武士的产生--  大化改革的土地分配制度,后来慢慢崩溃了.朝庭因为觉得土
地不足而奖励开垦者,那些势力强大的豪族和寺院就开垦新的农田,并且拒绝
交纳税钱,而划为自用,称为"庄园".背负重税而生活困苦的农民们只有放弃
自己的农田到庄园打工,庄园里的地主称为"名主".在这乱世中,名主们都拥
有武器保护自己的庄园,这就产生了武士.武士们由势力强大的头领集合一起
,东边的源氏,西边的平氏就是其中代表之一.武士们追随他们的头领进行各
种战斗,主人和家臣的关系就建立进来了.

院政--  那时期的白河天皇,将皇位让出而退到后面称上皇执政,为的是要压
制骄横跋户的藤原氏.因上皇处理朝政的地方在院子里,所以称那时的政治为
"院政".几乎所有的政治都围绕院政为中心,而代代天皇都信奉佛教,僧人们
的势力因此而强大起来.大的寺院里都眷养了僧兵,僧兵们如果不合意就引发
骚乱.为了压制这些僧兵,必须要有比他们强大的武士集团势力,由武士们保
卫京城,不久武士和政治也扯上了关系.

源氏和平氏--  十二世纪中期,朝庭和藤原氏之间起了争斗.在各处也有源氏
和平氏的武士在争斗,这个时期称"保元之乱".这场争斗由源氏的大将源义朝
和平氏的大将平清盛引发,二人的势力也逐渐的强大.不久二人间触发了一场
战斗,最后由平清盛取得了胜利而结束,历史称为"平治之乱".胜利的结果,平
清盛壮大了自己的势力而取代了藤原氏,一直到取得太政大臣的实权.然后平
氏一族取得各种朝庭要职,放纵骄横的气势而忘记了之前同样腐败的朝政,不
久的二十年间,就被源氏一族消灭掉了.

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