发信人: killjqk(<>)
整理人: ccu13650(2001-07-07 03:11:38), 站内信件
|
奈良の都(1)
平城京-- 大化の改新で國がととのい,勢いがさかんになってきたので,八世紀
のはじめ元明天皇の世に唐の都,長安にならって,奈良に平城京をつくりました.
東西が約三千五百メ-トル,南北が約三千九百メ-トルの長方形で,道路がごばん
の目のように美し走り,その道路にそって朱の柱や屋根の宮殿や貴族のやしき
がたちならび,さく花のにおうがようにと歌われるほど見事な都がつくられま
した.この時代の文化を天平文化といいます.
産業の発達-- このようにりっぱな都がつくられるようになったのは,しだい
に産業が発達して,國がゆたかになったからでした.麦や茶がつくられるように
なり,水利がよくなって,稲をつくる技術がすすんだほが,金や銅などの鉱物も
とれるようになりました.唐に貨幣にまねて,[和同開弥]という貨幣がはじめて
つくられたのも,このころでした.しかし,この貨幣は,都の東,西の二つの市で
使われたほかには,国内であまり使われませんでした.
この都の市では,米,しお,さかな,織物などを売る店が八十あまりもあった
といわれます.地方でも交通の便利なところや,神社,寺の前に市がたつように
なりました.
译文:
京城奈良(1)
平城京-- 在大化政治改革调整下,国势慢慢壮大.8世纪初,元明天皇时代,仿照
唐朝京城长安,在奈良建造了平城京做为京城.城市东西长3500米,南北长3900米,
布局呈方形,道路设计宛如棋盘,一路并排是朱红色柱子,青色屋顶的宫殿和贵族
的住宅,路边是盛开的鲜花,在下面的人们边赏花边唱歌,如此漂亮的情景就是当
时的京城平城京.这时期的文化称为"天平文化".
产业的进步-- 建造这样宏伟的京城,是因为渐渐发达进步的产业,使国家富裕
起来的.小麦和茶的制造,水利的建设,水稻生产技术的提高外,也在开采金和铜
等矿物.这个时期,还仿照唐朝的货币,发行一种叫"和同开弥"的货币,不过这种
货币,只在京城东西两个市场使用,在国内其他地区还未流通..
京城里,有八十多间出售米,盐,鱼,纺织品等物品的商店,在交通方便的地方
神社和寺院前出现了买卖的市场.
|
|