发信人: qiusz(自命不凡)
整理人: ccu13650(2001-06-11 21:38:46), 站内信件
|
<
柔道
--------------------------------------------------------------
古代の武士は戦場において、馬上や地上、水の中で、敵と組み合って相手を倒す必要があった。かくして、それらの格闘術、組み打ち等の技術が研究され、より機敏で実践的な技法の発見と体系化が始まった。その結果生まれたのが柔術(じゅうじゅつ)である。
1882年、嘉納治五郎(かのうじごろう)は現在の東京都台東区にある永昌寺(えいしょうじ)の一角に12畳、弟子9名で、日本伝講道館柔道(でんこうどうかんじゅうどう)を創設したのである。彼は柔術の修行を通して、その中にある新しい精神、すなわち柔術は単に勝負の技法だけでなく、修行する中で精神修養 (せいしんしゅうよう)も可能であることを悟ったのである。そして「術」(じゅう)を「道」(どう)に止揚し、柔道に「体育·勝負·修心」の目的を揚げ、その思想を「精力善用 (せいりょくぜんよう)・自他共栄 (じたきょうえい)・文武不岐(ぶんぶふぎ)に集約し、柔道の普及に尽力したのである。
柔道をはじめ全ての武道では、「礼に始まり、礼に終わる」と言われるように、特に礼節を重んじます。礼節とは、表現を変えれば全てに対する感謝ということではないかと思います。「感謝」という気持ちがわかったとき、人は自然に努力せずにはいられなくなるのです。
現在、柔道は世界選手権の開催やオリンピックの正式種目としても行われ、全世界に広く普及しており、「柔道」から「JUDO」へと移り変わってきました。これに伴い、柔道が「武道」から「スポーツ」へと、その性質を変質させてきています。
特に「JUDO」の普及、発展というカサを楯に、IJF(国際柔道連盟)は商業主義を持ち込み、カラー柔道衣の導入、ルールの改定、ポイント制の検討を推し進めています。このように考えますと、現在の「JUDO」は、「柔道」とは言えないのではないでしょうか。
> |
|