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主题:減少する『~子名前』
发信人: qiusz(秋天的风)
整理人: ccu13650(2001-06-09 01:51:21), 站内信件
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減少する『~子名前』

 女の子の名前(なまえ)に、『~子』が少なくなったと言われて久(ひさ)しい気がします。「~子」の名前をもつ女の人にとっては、自分(じぶん)の仲間(なかま)が減っていくような気がするじゃないでしょうか。

 明治生命(めいじせいめい)では、自社(じしゃ)の生命保険(せいめいほけん)に加入(かにゅう)した新生児(しんせいじ)の名前を調査(ちょうさ)して、その結果(けっか)を毎年公表(こうひょう)しています。昨年(さくねん)も12月下旬(げじゅん)にマスコミで紹介(しょうかい)されました。それによると、96年生まれの赤ちゃんの名前のうち、上位(じょうい) 100位以内に、『~子』のつく名前はわずかに三つなのだそうです。

 「~子名前」は、古代(こだい)は『小野妹子(おののいもこ)』などのように男によく使われましたが、女性名にもありました。たとえば『万葉集』の石川郎女(いらつめ)は通称大名兒(オオナコ=漢字は宛字)といいましたし、藤原鎌足がめとった采女(天皇に伺候する豪族の娘)の名は安見兒(ヤスミコ)といいました。

 平安(へいあん)時代中期(ちゅうき)からは上流(じょうりゅう)階級(かいきゅう)で盛んに使われるようになります。清少納言が仕えた一条天皇の中宮『定子(さだこ)』、紫式部が仕えた『彰子(あきこ)』などの名が有名どころでしょう。

 一般に広く使われるようになったのは明治後期になってからのようです。特に大正(たいしょう)期から昭和20年代までは『~子名前』の全盛(ぜんせい)で、先の明治生命の資料(しりょう)でも、この期間に生まれた女の人の名前の上位10位をまったく独占(どくせん)している状態(じょうたい)です。『久子(ひさこ)·文子(ふみこ)·幸子(さちこ)·和子(かずこ)……』などといった具合(ぐあい)。

 昭和30年代には、『明美(あけみ)』さんなど『~子名前』以外(いがい)の名が人気(にんき)を得てきましたが、依然(いぜん)『~子名前』は健在(けんざい)でした。昭和50年前後に奈良(なら)·大阪(おおさか)·倉敷(くらしき)·鹿児島(かごしま)の高校を卒業した女の人9000人近くを調査したところ(つまり昭和30~32年生まれが対象)、『~子』は約71%、『~美』は約11%、以下、『~代』、『~恵』、『~江』などが続いていたそうです。

 高度成長期(こうどせいちょうき)と軌(わだち)を一にするようにして、『~子名前』は減少(げんしょう)していきました。明らかな変化があったとみられるのは昭和50年代後半、つまり1980年代に入ったころからです。『愛』ちゃんが台頭(たいとう)してきて、1983年には新生児の名前でトップになりました。以後、『愛』ちゃんは1990年まで連続(れんぞく)して1位の座(ざ)を保(たも)ち、翌年(よくとし)から現在(げんざい)までは『美咲(みさき)』ちゃんがこれに取って代わっています。

 保育園(ほいくえん)の坊(ぼ)ちゃんを持つ知人(ちじん)に以前聞いたところでは、0歳児~5歳児クラスにいる35人の女の子のうち、『~子名前』は5人で、いちばん多かったのは『~み』(美·実·未·み……など)の6人ということでした。ほかには『~か』(香·か……)の5人や、『~奈』の4人などが多く、『~子』と伯仲(はくちゅう)しています。『~子』は一定(いってい)の勢力(せいりょく)を保ちつつも、今やワン·オブ·ゼムになってしまったようです。

◆注解◆
久(ひさ)しい気がします―好久没有注意到了。
明治生命(めいじせいめい)―日本明治生命保险公司。
マスコミ―媒体。
『万葉集』―4世纪后半期,出现在日本的诗歌。共收入诗歌达4500首。
具合(ぐあい)―情况、状态。
台頭(たいとう)―势力增强。
伯仲(はくちゅう)―不分上下。
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